大阪地方裁判所 平成7年(わ)3407号 判決 1997年3月13日
国籍
大韓民国
住居
大阪府高槻市真上町四丁目四番一〇号
会社役員
河村重光こと河重光
一九四〇年二月一四日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官酒井徳矢出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役二年六月及び罰金九〇〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から四年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、大阪府高槻市真上町四丁目四番一〇に住所を置き、大阪府茨木市別院町四番二一号小島ビル三階ほか四か所において、「ローンズサンアイ茨木店」等の名称で消費者金融業を営んでいた者であるが、自己の所得税を免れようと企て
第一 平成二年分の総所得金額が二億七〇八九万四九六八円(別紙一の1修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が一億二四〇八万円(別紙一の2税額計算書参照)であったにもかかわらず、ことさらに過少な所得金額を記載した所得税確定申告書を作成して、その所得の一部を秘匿した上、平成三年三月一一日、同市上中条一丁目九番二一号所在の所轄茨木税務署において、同税務署長に対し、平成二年分の総所得金額が二七七七万五一二〇円(別紙一の1修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が二六〇万九〇〇〇円(但し、申告書には、誤って二〇三万四〇〇〇円と記載。別紙一の2税額計算書参照)である旨の内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定の申告期限を徒過させ、もって、不正の行為により、別紙一の2税額計算書記載のとおり、同年分の所得税一億二一四七万一〇〇〇円を免れ
第二 平成三年分の総所得金額が二億八四一六万三四四〇円(別紙二の1修正損益計算書参照)で、これに対する所得金額が一億三二八九万七二〇〇円(別紙二の2税額計算書参照)であったにもかかわらず、前同様の行為により、その所得の一部を秘匿した上、平成四年三月一六日、前記茨木税務署において、同税務署長に対し、平成三年分の総所得金額が二三〇七万五六三〇円(別紙二の1修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が二五〇万四二〇〇円(但し、申告書には、誤って一九五万三三〇〇円と記載。別紙二の2税額計算書参照)である旨の内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定の申告期限を徒過させ、もって、不正の行為により、別紙二の2税額計算書記載のとおり、同年分の所得税一億三〇三九万三〇〇〇円を免れ
第三 平成四年分の総所得金額が三億四〇六三万八四五二円で、分離課税の短期譲渡損失が五〇万五七五九円(別紙三の1修正損益計算書参照)であり、これに対する所得税額が一億六一一二万三五〇〇円(別紙三の2税額計算書参照)であったにもかかわらず、前同様の行為により、その所得の一部を秘匿した上、平成五年三月一五日、前記茨木税務署において、同税務署長に対し、平成四年分の総所得金額が二三二八万九八六〇円(別紙三の1修正損益計算書参照)で、分離課税の短期譲渡損失が五〇万五七五九円であり、これに対する所得税額が二六〇万五〇〇円(但し、申告書には、誤って二二〇万九六〇〇円と記載。別紙三の2税額計算書参照)である旨の内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定の申告期限を徒過させ、もって、不正の行為により、別紙三の2税額計算書記載のとおり、同年分の所得税一億五八五二万三〇〇〇円を免れ
たものである。
(証拠の標目)(括弧内の番号は証拠等関係カードおける検察官請求証拠の番号を示す)
判示事実全部について
一 被告人の当公判廷における供述
一 第一回公判調書中の被告人の供述部分
一 被告人の検察官(六一ないし六三、六五)及び大蔵事務官(六六、七二、七四)に対する各供述調書
一 林英甲及び榎本正男の検察官に対する各供述調書(五八、六〇)
一 検察官作成の捜査報告書(一一)
一 査察官調査書(記録第二一-一二七及び記録第二一-三四については不同意部分を除く。)(一九ないし五七)
一 証明書(六七)
一 「所轄税務署の所在地について」と題する書面(一八)
一 決算報告書等(宝産業(株)一及び二期ファイル共)二綴(平成八年押第六七九号の1及び2)(七〇、七一)
判示第一の事実について
一 査察官調査書(六九)
一 税額計算書(二)
一 証明書(五)
判示第二の事実について
一 房前孝一の検察官に対する供述調書(五九)
一 税額計算書(三)
一 証明書(六)
判示第三の事実について
一 税額計算書(四)
一 証明書(七)
(事実認定の補足説明)
第一所得の帰属について
一 弁護人は、検察官の主張する被告人の各年分の事業所得のうち、ローンズタカラ京橋店及び同梅田店(以下「タカラ二店舗」という。)における事実上の収益は、宝産業株式会社(以下「宝産業」という。)に帰属するものであり、被告人には帰属しない旨主張しているので、以下、この点について検討する。
二 まず、所得の帰属については、所得税法一二条が「資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であって、その収益を享受せず、その者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益は、これを享受する者に帰属するものとして、この法律の規定を適用する。」として、いわゆる実質所得者課税の原則を規定しており、事実上の収益の帰属を決するに当たっては、当該事業が何人の収支計算の下において行われたか、すなわち、当該事業が誰の資金によって運営されているのか、当該事業から得られる収益を誰が収受し、当該事業から生じた損失は誰が負担することになるのか等の観点から、判断すべきである。
三 ところで、関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。
1 被告人の店舗経営及び改廃状況
(一) 被告人は、昭和三八年ころから、京阪神地区を中心に個人で消費者金融業を営み、以降次第に店舗数を増やして事業を拡大させ、昭和五八年ころまでにローンズタカラの屋号で四店舗(茨木店、十三店、難波店、京橋店)、ローンズサンアイの屋号で五店舗(茨木店、十三店、京橋店、難波店、広島店)、ローンズファーストの屋号で五店舗の合計一四店舗を経営していた。
(二) 被告人は、昭和五八年八月一日、資本金一〇〇〇万円を出資して金銭の貸付等を目的とする宝産業を設立し、同社の代表取締役に就任して、前記各店舗のうち、少なくともローンズタカラ茨木店、同十三店、同難波店の三店舗については、宝産業の経営とすることにした。
(三) 被告人は、昭和五八年から昭和五九年にかけて、前記ローンズファーストの屋号の五店舗のうち、ローンズファースト十三店、神戸店、長居店の三店舗を閉鎖し、ローンズファースト梅田店については、昭和五九年九月三〇日、屋号をローンズタカラ梅田店に変更して、営業を継続した。
(四) その後、被告人は、昭和六二年七月ころ、ローンズタカラ広島店を、昭和六三年末から平成元年初めころ、ローンズサンアイ広島店をそれぞれ閉鎖し、平成二年以降の被告人及び宝産業の経営する店舗は、ローンズタカラの屋号の五店舗(茨木店、十三店、難波店、京橋店、梅田店)、ローンズサンアイの屋号の三店舗(茨木店、十三店、京橋店)の合計八店舗となった。
2 宝産業の経営とされたタカラ三店舗(茨木店、十三店、難波店)における経理処理及び申告状況
(一) 宝産業の経営とされた三店舗については、毎月、各月の営業日報、現金出納帳、顧客からの入金を受ける銀行口座の預金通帳のコピー等を宝産業の顧問税理士である榎本正男の事務所に届け、これをもとに榎本が右三店舗を宝産業の経営する店舗として決算を組んだうえ、三店舗の所得を宝産業の所得として法人税確定申告していた(なお、弁護人は、宝産業の昭和五九年七月三一日の第一期決算及び法人税確定申告においてはローンズタカラ茨木店だけが、宝産業の経営店舗として処理されていたことを指摘するが、昭和六〇年七月三一日の第二期決算以降は三店舗を対象として右のような処理がなされていたことが認められる。)。
貸付原資については、被告人が自己資金や他人からの借入金を宝産業に貸し付けるという方法で提供され、宝産業の決算及び法人税確定申告においては、被告人に対する借入金債務及び支払利息が計上された。
3 タカラ二店舗における経理処理及び申告状況
(一) 被告人は、他の個人経営の店舗についても、ゆくゆくは法人経営とするつもりだったが、宝産業を設立した直後の昭和五八年夏ころ、ローンズタカラ京橋店で、従業員が強盗犯人に射殺されるという強盗殺人事件が起こり、同店がこれまでにももめごとが多く、同店を、設立まもない宝産業に加えるのは縁起が悪いと思ったことから、同店を宝産業の経営に加えず、これまでどおり被告人の個人経営の店舗とすることにした。
(二) また、被告人は、ローンズタカラ梅田店についても、同店は貸倒れが多く、業績が悪かったことから、閉鎖することも考えていたため、宝産業の経営に入れず、これまでどおり被告人の個人経営の店舗とすることにした。
(三) 被告人は、タカラ二店舗をこれまでどおり、被告人の個人経営の店舗とし、会社経営にしないことにしたため、ローンズタカラ茨木店、同十三店、同難波店においてとっていたような経理処理、すなわち、榎本税理士の事務所に、毎月、営業日報、現金出納帳、銀行預金口座の通帳のコピーを提出し、両店の収支を宝産業の決算に組み入れるという経理処理を行わず、両店の事業上の収益を被告人の所得に属するものであるとの認識で、被告人自身の所得税確定申告を行い、両店の事業上の収益を宝産業の法人税確定申告において申告することはなかった。
(四) タカラ二店舗における事業資金については、被告人個人が提供し、売上についても、被告人の個人所得として回収して、他の店舗の事業資金として提供したり、個人的な用途に運用したりしていた。
このように、被告人は、宝産業設立後も、タカラ二店舗については、宝産業の経営する店舗とせず、従前どおり、被告人の個人経営の店舗とするという明確な認識を有していたのであり、また、経理処理の面でも、右認識に沿う形で、宝産業の経営とされた三店舗において取られていた処理を行わず、両店の収支を宝産業の決算及び法人税確定申告の対象としなかったのであり、さらに、貸付原資の提供及び事実上の収益の回収も、被告人個人においてなされていたのであるから、被告人は、タカラ二店舗を被告人の収支計算の下で経営していたと認められるのである。したがって、タカラ二店舗における事業上の収益は被告人個人に帰属するものと解するのが相当である。
四 これに対し、弁護人は、所得税法一五八条が、法人に十五以上の事業所がある場合において、その事業所の三分の二以上に当たる事業所につき、その事業所にかかる事業の主宰者等が前に当該事業所において個人として同一事業を営んでいた事実があるときは、その法人の各事業所における資金の預入及び借入れ、商品の仕入れ及び販売その他の取引のすべてがその法人の名で行われている場合を除き、税務署長は、当該各事業所の主宰者が当該各事業所から生ずる収益を享受する者であると推定すると規定し、法人の事業所の収益が、一定の場合にはその事業所の主宰者である個人に帰属するものと推定されるが、ただ、所定の除外事由が認められる場合には、右推定が及ばないとされていることを指摘し、本件においては、そもそも法人に一五以上の事業所がある場合に当たらず、同条が直接適用されないとしても、タカラ二店舗につき、右除外事由に該当する事実が認められるのであるから、両店の事業上の収益は宝産業に帰属するものと考えるのが、同法一二条と一五八条を一体的に解釈適用することになる旨主張している。
しかしながら、同条は、法人を仮装することにより所得税を回避しようとする試みに対し、実質所得者課税の原則を前提としつつ、実態調査等に要する課税当局の事務負担を軽減させるために、一定の類型に当てはまる場合には、個人への所得の帰属が推定される旨規定したに過ぎず、右除外事由に当たる場合に、逆に、法人に所得が帰属すると推定している訳ではなく、その場合には、原則どおり、実質所得者課税の原則に基づいて判断されることになるに過ぎない。したがって、仮に、タカラ二店舗について、右除外事由に該当する事実が認められるとしても、所得の帰属について、実質所得者課税の原則に基づき判断した前記認定に何ら消長をきたすものではない。
また、弁護人は、タカラ二店舗において営業上用いられていた名義が宝産業名義であったことを指摘するが、実質所得者課税の原則からすれば、右のような名義は、所得の実質的な帰属を決する際の一つの要素であることは否定できないが、他方、弁護人が、所得の帰属を決する上で判断基準となりえないとする貸付原資の提供方法は、実質的な所得の帰属の決する上で最も重要な判断要素の一つというべきであり、しかも、タカラ二店舗と他のローンズタカラの三店舗との間には、右の点において、前述したような相異点が認められるのであるだけでなく、前述したとおりの被告人の認識、経理処理状況等からみれば、他のローンズタカラの三店舗と異なり、タカラ二店舗の事実上の収益が被告人個人に帰属すると判断することには、十分な実質的根拠があるというべきである。
五 したがって、タカラ二店舗の事業上の収益が被告人に帰属することは、優にこれを認定することができるのであり、弁護人の前記主張は採用できない。
第二ローンズサンアイ広島店の貸倒金額について
一 弁護人は、被告人がかつて経営していたローンズサンアイ広島店(以下「サンアイ広島店」という。)の閉鎖時に、集計表に記載されていなかった未回収の貸金債権が、総額で二億円から二億五〇〇〇万円程度あり、その中には、被告人の平成二年分以降の貸倒金として処理すべきものがある旨主張し、被告人もこれに沿う供述をしているので、以下、この点について検討する。
二 まず、関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。
1 被告人は、昭和五九年ころまでに、サンアイ広島店及びローンズタカラ広島店(以下「タカラ広島店」という。)の二店舗を経営していたが、昭和六二年七月ころ、タカラ広島店を閉鎖し、同店の未回収の貸金債権をサンアイ広島店が引き継いで、広島における被告人の貸金業経営を一本化した。しかし、同居には貸倒れが多く、経営が思わしくなかったことから、被告人は、昭和六三年末ころ、同店の未回収の貸金債権のうち、回収できることが確実であると見込まれる債務をアイフル株式会社(以下「アイフル」という。)に譲渡して、同店を閉鎖することを決め、そのための準備として、同店の未回収の貸金債権を回収可能性に応じて分類した。
2 被告人は、同店における各月の貸付残高等を記載した集計表を作成していたが、これによれば、平成元年一月の貸付残高は、五四九口座、約七四〇〇万円、同年二月は、五二三口座、約六九〇〇万円であった。被告人は、集計帳記載の未回収の貸金債権のうち、五〇三口座、額面六一三二万三〇七八円を、同年三月一日、アイフルに対し、代金五六三五万三七一一円で譲渡し、その結果、集計帳に記載された同月の貸付残高は二三口座、約一三四万円となった。被告人は、この二三口座の貸付残高につき、同年五月三〇日に貸倒処理した。
三 次に、被告人のサンアイ広島店における未回収貸金債権に関する供述を以下検討する。
1 まず、被告人は、公判廷において、次のとおり供述している。
(一) タカラ広島店の閉鎖時の貸付残高は、約一億五〇〇〇万円であり、当時のサイアン広島店の貸付残高も同額程度だったことから、同店がタカラ広島店の貸金債権を引き継いだことにより、貸付残高は、約三億円になった。
(二) 被告人は、サンアイ広島店の閉鎖を決めた後、同店の未回収の貸金債権を回収できることが確実なもの、回収不能なもの、回収困難なものの三つに分類した。このうち、回収できることが確実なものについては、アイフルへの譲渡が見込まれたため、平成元年一月以降の集計帳にも記載したが、回収不能のもの、回収困難なものについては、集計帳に記載しなかった。回収不能のものと回収困難なものとは、同額程度であり、両者の合計額は二億円強であった。被告人は、そのうち、回収不能のものについては、回収を諦め、昭和六三年一一月ころから平成元年一月にかけて、借用証等関係書類を廃棄した。回収困難なものについては、以後も回収の努力を続けるつもりで、同店閉鎖後、借用証等の関係書類を茨木に持ち帰り、保管していたが、その後、回収できたのは数百万円程度で、ほとんど回収できず、平成三年ころ、回収を諦め、借用証等の関係書類を廃棄した。
(三) サンアイ広島店の稼働当時の顧客数は、アイフルに債権譲渡したものの三倍はあった。
2 次に、被告人の査察段階における供述をみると、被告人は、平成六年六月二三日付質問てん末書において、サンアイ広島店の昭和六三年末ころの貸付残高が約三億円であったこと、このうち、回収不能なものについては、債権を分類した時点で関係書類を廃棄したこと、回収困難なものについては、アイフルに債権譲渡せず、被告人が回収にあたることとし、関係書類を持ち帰ったこと、サンアイ広島店の貸金債権で最後まで回収できなかったものは二億円強であることなどを供述しており、右供述内容は、被告人の前記公判供述と符号するものである。また、同年八月二二日付質問てん末書においても、サンアイ広島店の貸倒れの主張は撤回すると供述しているものの、その理由は、主として平成元年までに貸倒処理すべきだったという点にあり、事実関係については従前の供述を変更していない。
3 他方、被告人は、検察官調書においては、平成元年一月以降の集計帳に記載しなかった未回収の貸金債権があっこと、このうち、半分のものは回収不能と判断して借用証等を廃棄したこと、残りの半分については、借用証等を茨木に持ち帰ったが、ほとんど回収できず、借用証等を廃棄するに至ったことなどについて、被告人の前記公判供述と同趣旨の供述をしているが、集計帳に記載しなかった貸付残高の金額については、アイフルに譲渡した債権額と同額程度であり、七〇〇〇万円から八〇〇〇万円程度である。査察段階において二億円強と述べていたのは、あいまいな記憶に基づいて述べたものに過ぎないと供述しており、この点に、被告人の査察段階及び公判廷における供述との相違点が認められる。
四 そこで、まず、集計帳に記載しなかった未回収の貸金債権があったのかどうかについて検討するに、この点についての、被告人の供述は、査察段階から一貫しており、その供述内容も具体的である。また、被告人がサンアイ広島店を閉鎖することになった理由は、貸倒れが多く、経営状態がよくなかったことにあるところ、集計帳に記載された貸付残高については、その大部分である五〇三口座がアイフルに譲渡され、債権額の九〇パーセント以上が回収されているのであるから、他にも不良債権が相当額あったと考えるのが自然かつ合理的であり、被告人の右供述内容は、十分信用できるものである。
したがって、集計帳に記載した以外にも、未回収の貸金債権があったと認めることができる。
五 そこで、次に、集計帳に記載しなかった未回収の貸金債務の金額について検討するに、被告人は、公判廷において、右金額が二億円強だったと供述しているが、この点については、査察の当初から同趣旨の供述をしており、査察の最終段階において、サンアイ広島店における貸倒れの主張を撤回すると述べた際にも、右の金額自体については供述を変更させていない。また、被告人は、公判廷において、二億円強だったと記憶している根拠として、タカラ広島店の閉鎖時の貸付残高がタカラ広島店及びサンアイ広島店でそれぞれ一億五〇〇〇万円程度で、サンアイ広島店がタカラ広島店の貸金債権を引き継いだことから、サンアイ広島店の当時の貸付残高が三億円程度になった記憶があることなどを挙げて説明しており、右説明が十分納得しうるものである上に、タカラ広島店の閉鎖直後のサンアイ広島店の貸付残高が三億円程度だったということを前提にすると、これと比較して、サンアイ広島店の閉鎖当時の貸付残高が三億円くらいで、このうち、集計帳記載の平成元年一月現在の貸付残高が約七四〇〇万円であるから、集計帳に記載しなかったものが二億円強だったというのは、貸付残高としてあながち過大な金額であるともいえない。さらに、被告人は、サンアイ広島店の貸金債権の顧客数は、アイフルに譲渡したものの三倍程度であったと供述し、他方で、集計帳に記載しなかった回収不能又は回収困難な債権の一口の残高は二〇万円から三〇万円程度であると供述しているのであり、二億円強だったとの供述は、貸金債権の口座数及び一口当たりの平均的な残高とも符号している。
なお、被告人は、前述のとおり、検察官調書において、査察段階の供述を翻し、集計帳に記載しなかった貸付残高が七〇〇〇万円から八〇〇〇万円であったと供述しており、被告人の供述にはこの点に変遷が認められる。しかしながら、右のように供述を変更した理由について、右検察官調書によれば、回収不能な債権と回収可能な債権が同額ぐらいであったというだけで、必ずしも、十分な説明がなされているとは言い難い。被告人は、公判廷において、検察官調書における右供述について、積極的にそのように供述した記憶はないが、検察官から、サンアイ広島店の貸倒れの主張を諦めるようにといわれ、被告人自身も物証がなかったことから、諦める気持ちになり、貸付残高についても、検察官の言った金額に反論しなかったと述べており、サンアイ広島店の貸倒れの主張を諦め、検察官に迎合的になった被告人が、いわば投げやりな態度で、事実に反する内容を認めた右のような供述調書が成立するに至った可能性は否定できないと考えられる。
したがって、被告人が公判廷において供述するように、集計帳に記載しなかった貸付残高が二億円強あったものと認める余地があるというべきである。
六 そこで、被告人の公判供述を前提に、集計帳に記載しなかった二億円強の貸金債権について、貸倒れとなった時期について検討するに、本件のような貸金債権の貸倒れの判定時期については、債権の全額が回収できないことが明らかになった時とすべきであるところ、被告人の供述によれば、まず、二億円強のうち、半分については、サンアイ広島店で債権を分類した段階で回収不能であることが判明し、昭和六三年一一月ころから平成元年一月にかけて、借用証等を廃棄したというのであり、借用証等の廃棄により、回収不能が確定したと認められるのであるから、この時点で貸倒れとして処理すべきであり、本件で起訴されている平成二年分以降の貸倒れとしては認容できないものである。
他方、二億円強のうち、昭和六三年末ころの時点で回収困難と判断された残りの半分については、平成元年以降も、なお、回収努力を続けるつもりで借用証等を廃棄せず、サンアイ茨木店に持ち帰ったのであり、しかも、持ち帰った後にも少額ながら回収できたというのであるから、平成元年以前に回収できないことが明らかになったと言い切ることはできない(なお、被告人は、稼働店舗の不良債権については、後述のとおり、棚卸表作成から一年間経過した時に貸倒処理していたのであるが、サンアイ広島店のように既に閉鎖された店舗から引き継いだ債権については、異なる扱いがなされていたとみる余地があるものというべきである。)。そして、その後、ほとんど回収されなかったことから、平成三年ころ、借用証等を廃棄したというのであるから、この時点において、回収不能が確定したと認められ、平成三年分の貸倒れとして認容すべきであると考えられる。
なお、被告人は、公判廷において、集計帳に記載しなかった貸金債権の金額につき、二億五〇〇〇万円等と供述しているところも見受けられるのであるが、「二億円強」という言い方からすれば、二億五〇〇〇万円というのは過大であり、昭和六三年末ころの時点で未回収の貸金債権が総額で約三億円あったことや集計帳記載の平成元年一月の貸付残高が約七四〇〇万円であることなどに照らすと、集計帳に記載しなかった未回収の貸金債権の金額は多くとも二億三〇〇〇万円であると認められ、平成三年分の貸倒金として認容すべき金額は、その半額の一億一五〇〇万円であると考える。
第三平成元年五月作成の棚卸表記載の不良債権の貸倒れについて
一 弁護人は、被告人が、その経営する各店舗において作成していた不良債権の明細表である棚卸表に記載していた債権のうち、平成元年五月作成分の債権について、平成二年分の貸倒金として認容すべきである旨主張しているので、この点について検討する。
二 まず、関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。
1 被告人は、顧客に対する貸金債権のうち、返済が順調になされているものと返済が遅延しているものをそれぞれ別個に管理して回収に当たるため、その経営する各店舗において、回収不能あるいは回収の極めて困難な債権を定期的に拾い出して、その明細表を作成し、これを棚卸表と呼んでいた。棚卸表は、平成元年までは毎年五月と一一月の年二回、平成二年以降は、毎年七月の年一回作成していた。
2 被告人は、棚卸表に記載した債権が、一年間経過してもなお回収できなかった場合に貸倒処理し、その旨を営業日報に記載していた。なお、平成元年五月作成の棚卸表に記載された不良債権については、対応する営業日報がないため、貸倒処理がなされたとの確定はなされていない。
3 平成元年五月作成の棚卸表に記載された不良債権は、被告人経営の五店舗の合計で一二八三万六二〇八円であり、そのほとんどは最後まで回収されていない。
以上のとおりであり、平成元年五月作成の棚卸表に記載された債権が存在していたこと及びそのほとんど全額が回収不能となっていることが認められるから、問題は、右債権について、いつ貸倒処理すべきだったのかということになる。
三 この点について、検察官の冒頭陳述書記載の各年度における貸倒金額は、平成元年五月作成の棚卸表に記載された不良債権を平成元年分の貸倒金として、平成元年一一月作成の棚卸表に記載された不良債権を平成二年分の貸倒金として、平成二年七月以降に作成の棚卸表に記載された不良債権を各棚卸表作成の翌年分の貸倒金として処理、算出されており、平成元年五月作成の棚卸表に記載された債権を平成二年分の貸倒金として認めなかったのは、右債権が平成元年中に回収不能になったという理由に基づくものと思われる。
しかしながら、棚卸表を作成する主な目的が不良債権の能率的な管理・回収という点にあり、棚卸表に記載された債権については、棚卸表作成後も回収の努力を続けることが前提となっているのであるから、棚卸表作成後直ちに回収不能な債権として貸倒処理をすべきだったとは言い難く、棚卸表作成より一年間経過後に貸倒処理するという扱いは十分是認できるものである。しかも、検察官主張の貸倒金額も、平成元年一一月以降の棚卸表に記載された債権については、右の扱いを認めて、算定しているのであるから、平成元年五月作成の棚卸表に記載された債権だけ、一年後に貸倒処理することを認めないとする根拠は乏しいといわざるを得ない。
したがって、弁護人の前記主張のとおり、平成元年五月作成の棚卸表に記載された債権一二八三万六二〇八円についても、平成二年分の貸倒れとして認容すべきであると考える。
(法令の適用)
被告人の判示各所為はいずれも所得税法二三八条一項に該当するが、いずれも所定刑中懲役刑及び罰金刑の併科を選択し、かつ、情状により、それぞれ、同条二項を適用して右の罰金の額はその免れた所得税の額に相当する額以下とし、以上は平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文により同法による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第三の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により判示各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役二年六月及び罰金九〇〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右懲役刑の執行を猶予することとする。
(量刑の理由)
本件は、被告人が、自己の営む貸金業の収入を秘匿するなどして、所得税四億円余りをほ脱したという事案である。
被告人は、実際の所得とは関係なく、ことさらに過少な申告をするいわゆるつまみ申告をしていたもので、ほ脱率は約九八パーセントと極めて高く、犯行は悪質であり、ほ脱税額も高額で、本件犯行の結果も重大である。しかも、被告人は、本件のような脱税を数年にわたって累行してきたのであるから、被告人の刑事責任は重大である。
しかしながら、被告人は、修正申告の上、ほ脱した本税、延滞税、加算税、重加算税等の全額を既に納付していること、被告人は、本件脱税の発覚後、経理体制の改善に努めたこと、被告人は、既に子に営業を引き継ぎ、自らは経営から手を引いていること、被告人には、外国人登録法違反による罰金前科二犯があるだけで、他に前科がないこと、被告人は、本件犯行を深く反省し、五〇〇万円を贖罪寄付していること等被告人に有利な事情も認められる。
そこで、以上の諸事情を総合して考慮した結果、被告人を主文掲記の懲役刑及び罰金刑に処した上、懲役刑についてはその執行を猶予するのが相当であると判断した。
よって、主文のとおり、判決する。
(裁判長裁判官 田中正人 裁判官 石井俊和 裁判官 渡部市郎)
別紙一の1
修正損益計算書
<省略>
<省略>
別紙一の2
税額計算書
<省略>
別紙二の1
修正損益計算書
<省略>
<省略>
別紙二の2
税額計算書
<省略>
別紙三の1
修正損益計算書
<省略>
<省略>
別紙三の2
税額計算書
<省略>